すぐに二個目を。
これは本当に自分のメモ代わりに書きます。

うちの親が言っていた。

「自分が育ててもらった分お世話になった分、社会に還元すべき」

なるほど、その通りだと思う。俺も親にここまで育ててもらいお世話になったから、親には感謝しているし、今無関係に感じている人にもできるだけ幸せになってもらいたいと思う。

で、そのあと親は言ってた。

「子供を育てることが社会への還元になっている。」

これについては意義を唱えたい。

確かに、俺は育ててもらって感謝しているし、これから少しでも親のため、他人のために何かをしていけたら良いなとは思っている。

でも育てる側が、俺を育てることが社会への還元につながるとか言うのには疑問を感じる。

そのように考えてしまうのは次のような過程を経てではなかろうか?

●産んだ当時は喜び、子供が欲しいという喜びに満ちており、まだそれが社会への還元だなんて感じていなかった

●しかし、現実的に子供を育ててみると、物凄く大変であった。

●大変である仕事に何か意義を見つけることで頑張る気持ちを起こそうとする

●子供を育てるのは社会への還元といえる

もし、このようなプロセスでこのように考えることになったとしたら、そこにはもう、子供への愛やらなにやらは存在しないような気がしてしまう。

子供を育てるのが親の義務で、大変だがやらなきゃいけないからやってるんだ、と訳し変えてしまうのは俺だけだろうか。

もしも自分の子供を持ったと仮定したら、俺はそんな風に思わないだろうし、自分が育ててやりたいから育てる、そんな風に考えると思う。それが子供を育てる期間ずっと持続するのかどうか、生まれるまでに自問自答しまくると思う。
少なくとも、子供に向かって「社会のため」、なーんて言いたくない。もしかしたら俺の取った意味とは違うものなのかもしれないけれども、俺みたいに勘違いしてしまうかもしれないしね。

というか、コレは言っちゃいけないことだとわかってるけど、子供は、まぁ社会の一部に属しているのは確かなんだけど、親が勝手に作ったもの(本当に激しい言い方になっちゃってるね・・・)なのだから、「社会のため」(つまり『自分はいい事をしているのだ』って意識があるのではないかと思わせるような言葉)という言葉を使わずとも、しっかり愛をもって育てるべきだと思う。

社会のためじゃなく、子供そのもののために育てて欲しいな。


で、理想的な親子の関係について。

親は「子を思って」時に厳しく、時に優しく。

子は、そんな親を尊敬し、いいところは出来るだけ吸収し、悪いところは「自分はそうならないぞ」と自分にとってプラスの方向に持っていく。

そして子供は、大人になってから、いや、それより早くても良いから自分のため、そして他人のために力を使っていくべきだと思う。

書いてて気づいたけど、「社会へ」とか言うとなんか抽象的で、そのせいで俺はなんか勘違いをしていたのかな、ともちょっと思ってきた。

社会ってのは自分の身の周りの人たちって事かな。で、自分の友達や知り合いでもない人たちに対してよいことをしていくのは大切だと思う。

まぁ、言いたいのは意識の問題。

まとまりのない文章になったけど、まぁしょうがないや。

読んじゃった人、ごめん。気分悪くなるかもしれない文章で。

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